
自分を否定し責めさいなむ「自責感」を感じたことのない人はいないでしょう。しかし、この感覚はむしろ私たちが本来もつべき責任のかたちを歪ませる、厄介な存在です。たとえば精神分析では、みずからの罪を自覚し償うことが治療プロセスの中に位置づけられることがありますが、依存症をはじめ、そのような方法では治療がうまくいかないケースが増えています。
自責感とは一体何か?そして本来持つべき責任とは?今回は中動態の概念や、フーコー、ラカンらの思想も手掛かりに、自責からの解放とそこから立ち現れる新たな可能性を考えます。また、自責感とともに本来の責任を歪ませる現代の病理・自己責任論についても考えたいと思っています。
精神病理学は、精神医学の基礎分野で、患者さんの苦しみを言語化し理解することを目的としています。哲学や精神分析を参照することもあって難解に感じられることがありますが、病める心を理解したい全ての人の助けとなる実践的な学問です。
今回はこの精神病理学の基本に立ち返って、名著をもとに再考します。基本というのは、ドイツの記述精神病理学といわれるものです。症状の細やかな記述に重きをおいており、そのため内容や中身より形式を重視するあまり、味気なく、心を欠いたもののように思われているかもしれません。そこで批判的視点をもって読み直し、現代の臨床にどう活かせるのかをご一緒に考えたいと思っています。
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この講座では、この精神病理学の観点から、現代の代表的な精神障害についてお話しします。基礎知識や症例などを通して、単なる身体(脳)の異常としてではなく多角的に理解することをめざします。フロイトやラカンをはじめとした精神分析や、様々な思想家の考察も出てきますが、その都度補足をしていきます。
今回は精神病理学の基本である統合失調症についてじっくりお話しします。具体的な症例を詳しくみながら、折に触れてうつ病や神経症などの他の病気にもふれていきます。
フロイトやラカンをはじめとした精神分析や、様々な思想家の考察も出てきますが、その都度補足をしていきます。
今回は精神病理学(精神医学)の名著を読みます。中井久夫が西欧精神医学の理解のためヨーロッパ史にふみこんだ書籍から、現象学やハイデガーに影響を受けて現存在分析をあみだしたビンスワンガー、それを継承し深化させたブランケンブルク、そしてメランコリー(うつ病)の研究で知られるテレンバッハの代表作です。
日本の精神病理学をけん引してきた中井久夫や木村敏らの仕事や理論は、精神医学という分野を越え、著作をとおして現代を生きる私たちの考え方にも影響をもたらしているといえます。今回はとくに中井久夫を中心に、そのテクストに沿いつつ再考することを目標に据えます。
いくつかの主著を取り上げますが事前知識は不要です。
この講座では、私たちの「くらし」に身近な問題を、倫理学の視点から考えます。
人類の未来を左右するような大きな問題ではなく、もっと日常的な問題、たとえば、好みにまかせて不摂生な生活を送っても良いのか、政治について無知なまま投票に行っても良いのか、美容整形によって美しさを手に入れても良いのか、といった問題を扱います。
現代社会では、他人に迷惑をかけない限りは好きなように生きて良いと広く言われる一方で、みんなが好き勝手に生きてしまっては人間関係や社会が成り立たなくなるという懸念も多くの人が抱いています。いま私たちが「すべきこと」は何なのか。現代倫理学の知見をやさしく解説しながら、見つめ直します。
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今回のシリーズは「人智のおよばない話」。各回研究者が語ります
昔は夢は重要なお告げ・未来を知らせる媒体でしたが、今もフロイトが言うように、重要な自分についてのメッセージです。また既視感も、フロイトの言うように、人間の心のメカニズムの一部です。精神分析の観点から様々な事象を考察します。
昨年度、説明したフランスの精神医療とアール・ブリュットの相性の悪さをまず説明し直します。日本ではその二つが簡単に繋がり過ぎている。その理由も考えたいと思います。それは父性と母性の中和的雰囲気によるものかもしれません。そこに救いを見出す人もたくさんいます。
しかし、それが日本のアートのすべての特徴ではありません。日本ではやはり母性が強く父性が弱いと考えられますから、父性の弱さと闘った日本の作家を取り上げて考えていきたいと思います。
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現代哲学と言われているものは多様なテーマとなっているのですが、その中で「人の生き方」というものに視点を持った哲学者が多く存在します。
その彼等の人生に対する見方を解説していきます。
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Albrecht Dürer
いま私たちは混沌とした世界を生きている。大国が覇権を争い、戦争がいたるところで勃発し、そして人間が独占していると思われた知性も新しい技術によって劇的に代替されようとしている。そのなかにあって、言語や認識の問題だけでなく、自然や国家、そしてわたしたちの現実そのものを考えるためにも、この講座では〈哲学史〉を広い観点から捉えなおすことにしたい。
各回古典的な著作を基本一冊取り上げ、その歴史的文脈と現代的意義を解説します。
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『差異と反復』は、20世紀フランスを代表する哲学者ジル・ドゥルーズが、哲学史家として研鑽を積んだ後、初めて自分自身の哲学を披歴した主著です。ドゥルーズが哲学史上初めて展開したと言ってよい「純粋な差異」を原理とする超越論的哲学の体系が見られるとともに、後の著作で展開される概念や思想、イメージの萌芽が見てとれます。
哲学史のコラージュという独自の方法を採用したゆえに、指折りの難解さで知られ、さまざまな誤解もなされてきたこの著作を、読解の際に前提となる知識や背景の解説まで含めて、丁寧に読み解いていきます。
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哲学の問題はひとたび気にし始めたら至るところに現れます。
前期に引き続き、担当講師が現在執筆中の著作『差異と哲学』から重要なテーマを解説していきます。
西洋哲学の考え方の中心にある思想がどのようなものであるのか、そしてそれをどのように批判的に考察していくべきなのかといった哲学の本質的な問題をわかりやすく、さまざまな事例を取り上げながら、考察していく入門講座です。そこには、改めて考え感じ知覚すべき重要な意味と価値が含まれています。丁寧に説明しますので、ふるってご参加ください。
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20世紀を代表する哲学者ハイデガーの思想を、彼の主著『存在と時間』を中心に学びます。講座では、事前にハイデガーのテキスト(日本語訳)に目を通してきていただいた上で、講師から当該箇所について簡単なレクチャーを行い、テキストの内容について質疑応答を行います。ディスカッションに積極的にご参加いただける方はもちろんのこと、まずは少しハイデガーの思想にふれてみたい、という方も歓迎いたします。
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7月期100分de名著「フッサール『危機』」出演の西研先生から学ぶ!
7月から、全4回に渡って、NHK・Eテレの100分de名著 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』に出演される西研先生の講座です。
本講座では、番組でも取り上げる、『危機』第一部・第二部、そしてフッサールの超越論的現象学の骨子について、長時間(3時間半)の「講義・話し合い・質問」を2回にわたって行います。
第1回(7/26):『危機』第一部・第二部について
第2回(8/30): 超越論的現象学の骨子と本質観取の可能性
ご好評につき「カントの教育学」第3弾を開催!
哲学者・倫理学者として有名なイマヌエル・カントですが、大学では「教育学」の講座を担当しており、その成果をまとめた『教育学』という著作があります。そこにはカントの哲学であり、倫理思想が息づいています。本講座では、その中身について触れていきながら、今日の教育現場においてカントの教育学の果たせる役割について探っていきます。カントの理念に則って、知識の伝達に終始して満足するのではなく、さまざまな問いに対峙しながら、ひとりひとりが主体的に考え、意見交換する場にしたいと思っています。
哲学好きはもちろん、はじめての方も大歓迎!
気楽に語ろう、森羅万象。
テーマの大小に関わらず、今、私たちが向き合わないといけない課題を、講師を軸に受講生で話し合います。
★お菓子付き。
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私たちは時間を直線で捉えがちですが、小さな子どもにはそうした概念がなく、現実と想像の区別も曖昧です。それでも、現在と過去、完了と未完了の区別は直線的理解より先に現れます。時間を主観的錯覚や単なる計測可能な量とみなすだけでは、その本質的な多面性を見落とすことになるでしょう。本講義では、時間哲学の主要な問題を、整備された概念的ツールとともに紹介します。日常の時間感覚を見直し、新たな視点を開く機会となるでしょう。
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認識論(物の見方や知識のありかたを考える哲学)は、存在論や倫理学と並んで、古代ギリシア時代から続く哲学の一大分野です。
この講座では、認識問題に哲学者たちがいかに取り組んできたのか、そして、認識の本質を明らかにすることが私たちの生活にどのように関係するのかを、全12回で考えていきます。前編では、ソクラテス以前の哲学者たち、古代懐疑主義とプラトン、近代認識論を扱います。
本講座は講師の新著(『認識批判の哲学』(仮題))の内容と連動しており、現在考えているプランや草稿の一部を受講生に提示しながら議論を進めます。哲学初心者も大歓迎です。講座後にメールでの質問も受付けます。一緒に認識論を平らげましょう。
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文学作品や映画の中に、哲学的思考の鍵が潜んでいます。読書を楽しみつつ、物語の背景に描かれている 社会情勢に目をとめて深く考察し、人生の謎に向き合ってみましょう。
『怪談』で知られる小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの、開国後の日本を見つめる眼差しは、哀惜をもって過去を懐かしむ現代の私たちの想いと重なります。130年前に来日した彼は、何を嘆いていたのでしょうか。碧眼に映った古き佳き日本の姿を、彼の随筆や小説から2回にわたって見つめます。
【カリキュラム】
7/25 『日本の面影』
9/26 『日本人の微笑』
今回のシリーズは「人智のおよばない話」。各回研究者が語ります
「人事を尽くして天命を待つ」「神頼み」といった多くの言い回しがあるように、人智のおよぼない究極の存在として「神」を思い浮かべる人も多いでしょう。「神」とガチンコで向き合ってきた学問領域である哲学の助けを借りながら、「神」について考えてみましょう。
いまや自明とされる国家や資本主義のありかたに挑み、先入観や固定観念を覆してきた人類学者のデヴィッド・グレーバー。『民主主義の非西洋起源について』『万物の黎明』等のテーマを引き継ぎ、生前最後の著作『啓蒙の海賊たち』では、マダガスカルの海賊都市の民主主義を鮮やかに再現し、「代議制民主主義」とは別の形の民主主義を紡ぎ出します。
この対談ではグレーバーが『啓蒙の海賊たち』で提示した「海賊民主主義」という新たなアイデアを手がかりに、土台となったマルクスとの共通点と差異、アナキズムと自由の問題など、その思想をあらためて考えます。「価値」や「貨幣」の問題にも迫る、最新のグレーバー入門ともなっています。
『負債論』の公刊からすでに15年ほどがたつが、このテキストの直接の文脈をなす2008年の金融危機が暴露した資本主義の金融化とその破滅的状況は、それ以降も不可逆的に進行し、世界はカオス的様相を呈しはじめている。
道に迷ったときこそ、わたしたちは大きな視野が必要なのだ。こういってユーラシア大陸5000年史に着手した人類学者デヴィッド・グレーバーの大著は、ますますその意義をあきらかにしている。
本講座では、近年の負債にかかわる研究の進展も参照しながら、『負債論』の意義を確認し、現在のわたしたちの世界の動きを深部からつかむ、その努力の一端にふれてみたい。
教皇フランシスコにより、日本人で歴代6人目の枢機卿に叙任された前田万葉枢機卿。
教皇選挙では、新教皇 レオ14世の誕生に立会われました。8月には原爆被爆80年を、被爆二世として迎えます。
「こうのとりのゆりかごin関西」の顧問を務めるなど身近な社会問題にも携わり、多くの人の心に寄り添ってきた講師が、こころの平安、世界平和への祈りについてお話します。
「100分de名著」でもおなじみの講師による連続講座、開講です!
いまの世界を生きる私たちにとって、「宗教とは何か」をあらためて考えることの重要性は増すばかりです。この講座では、世界四大宗教を代表する人物の生涯と残された言葉を読むことで、宗教についての理解を深めていきます。「宗教的なもの」のもつ意味を、名著の言葉を深く味わいながらともに考えてみましょう。興味はあるけど一人で学んでいくのは難しい・・・・・・と感じていた方も、ぜひご参加下さい。
<テーマ>
1、パウロ「ローマの信徒への手紙」(キリスト教)
2、親鸞『歎異抄』(仏教)
3、ガンディー『わたしの非暴力』(ヒンドゥー教)
4、井筒俊彦『『コーラン』を読む』(イスラーム)
「詩編」は、古代イスラエルの人々が神に対して歌い上げた「讃美」と「嘆き」の歌です。キリスト教の教会は、この「詩編」を、最も基本的な「祈り」の言葉として受け継ぎ続けています。讃美も嘆きも、嬉しいことも悲しいことも、すべてを神の御前にありのままにさらけ出しながらつむぎ出された「詩編」の言葉は、現代に生きる私達の喜び悲しみと深く響き合い、困難な現実を生き抜くための光と導きを与えてくれるものとなっています。今回は、「詩編」を冒頭から読み進め、大変優れた注解を残したアウグスティヌス(354-430)の『詩編注解』も随時紹介します。「詩編」は一つ一つが独立した詩の集まりです。今期からの参加で全く問題ありません。
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「新約聖書」のなかには、イエス・キリストの生涯と活動を描いた四つの福音書が含まれています。「新約聖書」冒頭の文書である「マタイ福音書」には、ある意味、「新約聖書」全体のエッセンスが含まれているので、この福音書を精読すれば、キリスト教の核心を理解することができます。イエス・キリストの系図から始まり、聖母マリアの処女懐胎、山上の説教、主の祈り、奇跡、十字架と復活など、誰もが一度は聞いたことのあるテーマについて詳しく分かりやすく解説し、キリスト教とはどのような教えなのか、その本質を解き明かしていきます。特別な予備知識は必要ありません。今期からでも問題なく参加できるように、基本的なことから説明します。
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日本におけるキリスト教は、キリシタン時代から数えれば、400年以上の歴史が経過し、また明治6年のキリシタン禁教の高札撤去からでも、すでに150年の歴史が存在しています。これは、さまざまな 重要で興味深い出来事が起こるに十分な期間です。この間、時代は江戸幕府から明治維新、そして太平洋戦争を経て現代に至っています。
本講座では、この日本キリスト教をめぐる歴史をたどり、それによって、これまで不鮮明なまま隠されてきた日本の姿に迫ることを試みます。
「日本キリスト教史を学び、合わせて日本について考えること」これが本講座の目標です。
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遠藤周作(1923~1996)は、日本におけるキリスト教信仰の可能性を探った信仰者であり、日常の中で「母なるもの」のまなざしを見出そうとした小説家であります。遠藤周作の作品を通して、私たちの中に潜んでいる温かい人間性が見出されると同時に、現実の中で様々な困難に遭遇し途方に暮れている私たちが慰められ、また勇気づけられると思います。皆様を遠藤周作の文学世界にお招きいたします。
作品を読まれていればより理解が深まりますが、読んでいなくてもかまいません。お気軽にご参加ください。
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2500年前に仏教が生まれた頃の「教え」というのは、釈迦が目の前の一人ひとりに語りかける断片的な言葉でした。釈迦亡き後の弟子たちは、その断片的な言葉を元にして、「仏教とはなにか」を語る巨大な本をつくりました。その、釈迦の教えから作られた巨大な仏教哲学書のことをアビダルマといいます。そのアビダルマの世界観を一から順に解説していきます。
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仏教には膨大な数のお経(ブッダの教え)が残っていますが、今期は、釈迦の言葉を色濃く反映した最古の仏教経典である「阿含経」の中から、楽しい物語なども含まれた「長阿含経」「中阿含経」を取り上げてご説明します。仏教が世界宗教としてきらびやかに飾り立てられる前の、素朴で奥ゆかしかった時代の姿を知ることができます。
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今から約2500年前のインドに誕生した仏教は、現代にいたるまで多くの人々の心のよりどころとなってきました。
この講座では、はじめて仏教を学ぶ方やあらためて学びなおす方に向けて、仏教の基本的な思想を仏典などの資料を読み解きながらわかりやすく解説します。いつもの見慣れた世界も仏教的な視点をもつことで少し違ってみえてきます。
ぜひ一緒に勉強してまいりましょう。
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「西の元政、東の芭蕉」「江戸時代随一の詩人」として、江戸時代の水戸黄門として知られる徳川光圀に尊敬され、井原西鶴、北村季吟、小林一茶らに影響を与え、松尾芭蕉からはライバル意識を持たれた法華宗の僧侶にして文学者であった元政上人の人と作品を通じて、「諸法実相」「一念三千」などの法華経の思想を読み解く。
それは、仏教用語を用いないで法華経に説かれる人間観、生命観、宇宙観、自然観を詩や文章で表現したものであった。人間の心が宇宙大であることや、永遠の今を生きる境地を表現した詩を味わうと、生きる喜びと力が全身にみなぎってくる。
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1世紀頃に興った仏教の二大思潮の一つ「大乗仏教」の歴史を学びます
大乗仏教は、今日の世界における仏教の主要な流れの一つであり、その思想は我々に身近な日本仏教にも大きな影響を与えています。本講座では、大乗仏教がインドにおいてどのように始まり、展開してきたのか、その歴史と背景を掘り下げつつ、中観や唯識、如来蔵、そして密教といった大乗仏教の主要な思想や教理を取りあげ、それらを分かりやすく解説し、魅力と奥深さを伝えます。
第1回 大乗仏教とは
第2回 大乗仏教の担い手、菩薩
第3回 大乗仏教の思想1:空思想と中観
第4回 大乗仏教の思想2:瑜伽行と唯識
第5回 大乗仏教の思想3:如来蔵思想
第6回 密教は大乗仏教なのか?大乗仏教と密教の関係
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NHKEテレ「100分de名著」出演講師が人生と仏教を考える
<講師のことば>学生時代に陥った鬱と自己嫌悪を仏教との出会いによって乗り越えることができた。それ以後、独学で仏教を学び、中村元 東大名誉教授との出会い、博士号取得、毎日出版文化賞受賞、NHK-Eテレ「100分de名著」出演・・・に至るまで、仏教とは本来何だったのかを探究してきた。私の人生に即して仏教の現代的意義を考えたい。
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2024年10月期に続き、ゾロアスター教をその周辺の諸宗教とともに概観します。インドで栄えたクシャナ朝、グプタ朝などとイランとの思想交流がメインになります。
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トルストイやユング、シュヴァイツァーなど、世界の偉人が愛読した書
『老子』は五千字余りの小さな書物ですが、中国古典の中で『論語』と並んで最もよく読まれてきました。『老子』には、宇宙と人間存在の根源を探る「道(タオ)」の思想や、無為・自然の思想、あるいは、「足るを知り」しなやかに生きることの大切さを説く文など、深い叡智に満ちたことばが数多く出てきます。一方、『老子』は作者についても成立年代についてもわからないことばかりで謎に満ちた書物でもあります。本講座では、『老子』をめぐる謎を説明するとともに、二千年にわたって読み継がれ、今なお私たちの心に響く『老子』のことばにじっくりと耳を傾けます。
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古来リーダーたちが学んできた四書五経の一つ『論語』を読む
論語を初めから読んでいきます。『論語』は2500年以上も前の中国の孔子の言行録です。時を経る中で、様々な解がなされてきました。貴重な成果ではありますが、各時代や立場のニーズに応じた解となっている場合があることも否めません。本講座ではそれらの解を踏まえつつも、各章段の言葉の意味を大切に、孔子の言わんとするその思いをできるだけ純粋に味わいたいと思います。各章段からは、人生に関わる金言・修養についての教え、そして政治に関する提言など多岐にわたる事柄が読み取れます。それらの言葉は、現代にも欠かせない人間存在の基本として大いに心を打つものと思います。古くて新しい「人」としての有様を味わいましょう。
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徹底的に丁寧にじっくり指導 古来必読の四書五経の一つ孟子を読む
漢文はかつて東アジア漢字文化圏における共通語でした。教養として学ぶに値すると思います。
漢文を学ぶメリットは2つあります。1つは、翻訳を介さずに中国の古典を味わえること。もう1つは、日本語の成り立ちについて理解が深まること。中国の古典や日本語に興味がある方にお勧めの講座です。
漢文のなかでも屈指の名文である『孟子』を読みながら、漢文を読むコツをじっくりと学んでゆきます。孟子の思想についても解説しますが、目的はあくまでも「漢文を読めるようになる」ことです。予備知識は要りません。かんでふくめるように徹底的にていねいに指導します。受講すれば漢文が読めるようになることをめざします。
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ブッダが本当に伝えたかったことは何か、法華経が説いた「平等思想」とは…。
サンスクリット原典から日本語訳を果たした第一人者である講師が、その貫かれた「人間観」と、思想の本質に迫ります。
対立や分断が深まる現代で、講師が『法華経』から掴み取ったこと、今を生きる私たちが学ぶべきことを語ります。
<講師のことば>人間の尊さを慈愛の眼差しで見つめ、それを巧みなる譬喩によって語る「人間尊重の文学」とも言える『法華経』は、これまで、鳩摩羅什訳が名訳であったことから漢訳で読まれてきました。この講座では、サンスクリット語からの現代語訳(27章全編)を通して、信仰としてだけでなく文学・思想としても丁寧に読み込んでいきます。
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